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ラカンとビオン

㈱らくらくカウンセリングオフィス 2012/01/02
らくらくカウンセリングオフィスで契約企業の従業員がカウンセリングを受ける場合には、個人的な経済負担は一切かかりません。

当社役員の脇田です。平成25年は、何かが変わる1年となるでしょう。

さて、精神分析の話ですが、大学の心理学科の学生でもなく、また精神分析医に教育分析を受ける時間も経済的余裕もない、そのような一般市民にとって、「精神分析学」を学ぶことは実は容易なことではありません。もちろんコアの講座でも、あるいは公開されている市民講座やカウンセラー講座のような場にも精神分析学の講座はあるでしょうが、そこで語られるのは表面的なフロイト理論に過ぎません。そこで語られるのはフロイトの生い立ちだったり、イルマの夢の分析だったり、抑圧理論やリビドー理論の初歩講座だったりはするのでしょうが、「精神分析の真実」が語られることはありません。精神分析の可能性と限界、現在行われている精神分析の実態、各学派の紹介まで説明されることはまずないでしょう。ましては、「私にとっての精神分析」を考える端緒すら、与えられる機会はありません。これらの講座で語られることは、「本に書いてある“精神分析学とは何か”のなぞり」にしか過ぎません。

しかし、柄谷行人さんが言うように、「精神分析は一人ひとりにとっての科学」なのです。

そのことを知るために私はまず、メラニー・クラインの対象関係論を学びました。しかし、妄想分裂態勢(PS)や抑鬱態勢(D)といった考え方は、確かに頭ではわかるのですが、今一つこころにしっくりとふに落ちることはありませんでした。

次に私は、ジャック・ラカンの精神分析学を学びました。ラカンは、「フロイトに帰れ」と主張し、フロイト全集をフランス語に翻訳するとともに、そのテクスチャーを微細に検討していった人です。「大文字のS(主体)」や、「対象a」、「欲望とは他者の欲望である」といった概念やテーゼを、フロイト理論から導き出したことはよく知られています。私は最初、ラカンの理論がよく理解できませんでしたが、ラカン派の臨床について書かれた本を読み、そこに確かにフロイトのエディプスコンプレックス理論やクラインの「対象」やウィニコットの「移行対象」が別の表現で描かれていることは分かりました。しかしやはりここにも、私にとって「ふに落ちる」理解はありませんでした。

次がウィルフレット・ビオンでしたが、ビオンへの私の理解も、最初はやはり「グリッド理論」でつまづきました。ここは多くの人が躓くクリティカル・ポイントです。しかし、ビオンを読むと同時に、対象関係論の臨床実践の本を読むことにより、グリッドの意味するところが次第に分かってきます。そこには、「思考の発達」と言う考え方があり、精神分析過程を「考えられずにいた思考が飽和することである」と理解することにより、ようやく精神分析の意義が見えてきました。ああ、だから精神分析は「一人ひとりにとっての科学」なのだなあと言うことが、ここでようやく「ふに落ちて」きます。

フロイトの精神分析が、アナライザンド本人の自我の確立を目指す「一者心理学」であるのに対し、対象関係論が分析者とアナライザンドとの「二者心理学」であること、そして対人関係が基本的に二者による間主観的な関係であることが分かってくると、フロイトとクラインの違いも、そしてラカントとビオンとの違いも見えてきます。また同時に、クライン派がなぜ分析過程における「転移」にこだわるのかも理解できてきます。ここには、対人関係論学派やコフート派が目指したことも包含する、より一般性と抽象性の高い理論が構築されています。

ビオンの理論は現在、松木邦裕さんが最前線で紹介していて、その著作を読むことによりほぼその全貌を知ることができます。一方、ラカンの理論は斎藤環さんが分かりやすく噛み砕いて、しかも実践の先端の場所から説明しています。彼らの理論は、かつての自我心理学や対人関係論よりもわかりやすく、しかも昨今の症例をあげているために身近なテーマとして理解することができます。

ビオンやラカンの精神分析学は、確かに、こころの理解について豊かな知見をもたらしてくれます。その知見は、カウンセリングの場でも大いに役立つでしょう。

しかしここにも、ひとつの大きな欠落が存在するように思えます。それは、政治と経済と言う「資本主義の原則」です。あるいは法律と多数決と言う「民主主義の原則」でしょう。言いかえれば、それは「社会の欠如」です。産業カウンセリング的に考えれば、「企業の論理と労働者の論理」の欠如と言い換えてもよいでしょう。カウンセラーが、カウンセラーと言う立場でなければ取りえない「頂点」があるとすれば、まさにそのような視点ではないかと、私は思います。
 

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