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エリザベートの拒食 テヴィエの機知

㈱らくらくカウンセリングオフィス 2012/12/09
らくらくカウンセリングオフィスは、メンタルヘルス専門のコンサルティング会社です。うつ病や神経症などで悩んでいる従業員を支援するのが仕事です。詳しくは下記のアドレスへ。
http://homepage3.nifty.com/rakuraku-shinri/

先日、FM放送で「今日は一日ミュージカル三昧」という番組が放送されました。大のミュージカルファンである中井美穂アナウンサーの司会で放送されたこの番組で、視聴者が選ぶベストワンミュージカルを募集したところ、「サウンドオブミュージック」や「オペラ座の怪人」を抑えてNo.1を獲得したのは、なんと「エリザベート」でした。ちょうど、東宝の「2012年キャスト版」を全国巡業中だったので人気が上がったのでしょう。1990年代にウィーンでドイツ語のミュージカルとして産声をあげ、その後、宝塚歌劇団に輸入されたこのミュージカルが、十数年でこれだけの人気を獲得するとは、とても驚きでした。


このミュージカルは、19世紀末のオーストリア王妃であり悲劇の死を遂げたエリザベートこと“シシィ”を主人公としています。「死」をつかさどる「黄泉の帝王・トート」という狂言回しを設定することにより、「死」と常に隣り合わせて生きたシシィの一生を描いた作品です。この「トート」を登場させ、シシィとの葛藤をストーリーの中心に置くことにより、このミュージカルは彼女の内面世界を描くことに成功しています。つまり、精神分析的に言えば、彼女の死への欲動・タナトスを「トート」に象徴させることにより、生と死の葛藤を描いているわけです。


シシィの「死への欲動」とは何でしょう。それは、彼女の「拒食症」(摂食障害)という症状です。ミュージカルのセリフや歌詞を注意深く聞いていけばわかる通り、シシィは自分の体重を極限まで減らして生きようとする「拒食症者」です。精神医学的には「神経性食欲不振症」と言いますが、精神分析学ではこの症状を「神経症」のバリエーションと考えます。つい先日翻訳が出た『天使の食べものを求めて』という本には、精神分析医からの視点で、シシィの症状とその原因・分析が詳しく記載されています。


拒食症という症状は、外部の人が初めてそれに気付き、本人に指摘することによって社会化する精神疾患です。つまり、当の本人は「自分が病気である」とは気づいていません。過食と嘔吐を繰り返し、それによって最低限の体重を維持しようとする拒食症者は、自らの意思で、つまり意識的に、その行為を繰り返します。そして、「絶対に自分は病気ではない」と主張します。これが、「拒食症」という「症状」の特徴です。そのため、拒食症者本人が自らカウンセリングに訪れることはめったにありません。多くの場合、家族がそれと気付き、本人に「少しでもいいから食べて欲しい」という願いのもと、カウンセリングオフィスに連れてくることになります。しかし、この「絶対に自分は病気ではない」と主張すること自体が、神経症の大きな特徴です。


シシィの生き方にも、拒食症者(=神経症者)ならではの特徴が現れています。例えばそれは、ハンガリーという国への彼女の強固な“こだわり”の中に見られます。なぜシシィが身の回りの従者をすべてハンガリー人で固め、ハンガリー語を話し、ハンガリーへの旅行に明け暮れたのか。その理由は決して政治的なものではありません。彼女の内的世界に作り上げられたファンタジーによるもの、つまり完全に心理的なものなのです。ミュージカル中では、シシィのパーソナリティは、夫にも義母にも対抗して自らの生き方を貫こうとする女性のように描かれていますし、またそのような人物像故にこのミュージカルが高い人気を誇っているのでしょうが、彼女の心的世界の実情は、そのような人物像とはかなり異なっていたのです。


シシィは最後に、テロリストによって短剣で刺され、自らの「死」を迎えます。ミュージカルでは、この「死」は、シシィとトートとの接吻という形で象徴的に描かれています。この「死」こそ、彼女が願っていた自らの道であったということがこのミュージカルのもう一つのテーマであり、そこにこそ「死の欲動」の完成が描かれているわけです。しかし、ここで忘れてはならないのは、『天使の食べものを求めて』にも書かれている通り、「ではシシィの“欲望”はどうなったのか?」という問いです。つまり、もしシシィが一人のクライエントであった場合、セラピストは彼女の症状をどのように分析し、どのようにワークスルーするのかという問題です。「欲望の精神分析」として精神分析学が今後発展していくとすれば、この問いに答える必要があると思います。


さて、先ほどの「ミュージカル三昧」の話に戻りましょう。この番組ではベストミュージカルの候補にも選ばれませんでしたが、「症状」との関係で私が思い出すミュージカルは、「屋根の上のバイオリン弾き」です。ユダヤ系の俳優「トポル」の主演で映画化もされ、また日本では森繁さんの名演で有名になったこのミュージカルには、精神分析学的な意味での「症状」が、サブテーマとして描かれています。それは、「機知」というテーマです。


フロイトの著作には「機知」という大著があります。この本は一見、ユダヤ人のジョークやユーモアについての論考のように読めます。実際、フロイトも、機知やジョークを一つの「防衛機制」として、つまりユダヤ人が自らの置かれた歴史的試練とその苦悩を一時だけ忘れるための心的規制として位置付けています。この心的規制が、「抑圧」です。分かりやすく言えば「ストレス解消法としての笑い」ということなのですが、その時に起きている無意識世界のこころの動きを、精神分析学では「抑圧」と呼びます。そして、逆に、この抑圧されたものが身体に表現されるとき、それが「言い間違い」や「物忘れ」、あるいは地口やダジャレとして現れます。そして人によっては、それがうつ病や神経症などの「症状」となります。


トポルの演じる主人公・テヴィエは、機知の達人です。「屋根の上のバイオリン弾き」には、いろいろなところにユダヤ的ジョークがちりばめられています。例えば、冒頭のイントロダクションのところで、ユダヤ教の神学校で生徒が先生(ラヴィ)に尋ねます--「先生、ロシア皇帝にも神の恵みはあるのでしょうか?」。ラヴィは答えます--「Far from us(我々には計り知れないことだ)」と。(解説:「神の御心は我々人間には計り知れないほど遠い」という意味の「far」と、「ロシア皇帝は計り知れないほど遠くにいる」という意味の「far」をかけたシャレ)。他にも、テヴィエ自身のセリフには、冗談やシャレが散りばめられています。このような機知によってテヴィエは自らの“欲望”を抑圧しているわけです。


では、テヴィエの“欲望”とはいったい何でしょう。もちろん、「もしも私が金持だったなら」という歌もその欲望の一つでしょうが、もっと大きな、そして根源的な欲望は、「ユダヤ人の失われた故郷を取り戻したい」という欲望でしょう。数百年にわたって、流浪の民族ユダヤ人はこの欲望をユダヤ教という形で語り伝えてきたのですから。そして劇中で、ただ一か所、この欲望がトポルの症状となって表れるシーンがあります。それは、三女(チャバ)の結婚をめぐる諍いのシーンです。仲人を通さずに結婚をした長女、革命家の学生と結婚した二女、ここまではまだトポルの症状も理性で抑えることができるものでした。しかし、キリスト教徒であるロシア青年との結婚に対してだけは、彼の理性も限界に達します。テヴィエは三女の結婚にだけは「ノー!」と強く反発し、結局、彼女を勘当してしまいます。(この後、母親だけが一人でロシア正教会を訪れ、陰ながら三女の結婚を祝福します。この辺りの、テヴィエと妻との行動の違いには、彼らのエディプスコンプレックスが反映されています)


テヴィエの“欲望”はもちろん、アナテフカという町に住む全ユダヤ人の欲望でもあります。しかし彼らの欲望は、最後の場面で再度、疎外されてしまいます。これがロシア政府によるユダヤ人の強制移動です。住民は全員、荷物をまとめてアナテフカを後にします。最後に町を去るテヴィエが振り返ると、そこにバイオリン弾きが一人残されています。テヴィエは彼に、「ついてこい」と言います。バイオリン弾きとは、テヴィエの言うところの「伝統(トラディション)」の比喩であり、意識と無意識との間で微妙なバランスをとっているユダヤ人の姿のメタファーにもなっているわけです。こうしてテヴィエの症状は再び抑圧され、危ういバランスを取りながら、ディアスポーラ(放浪の民)の人生を「強迫反復」することになるのです。


上記の『天使の食べものを求めて』は、ラカン派の精神分析家が書いた本です。拒食症への精神分析の本としては、松木邦裕氏の編著による『摂食障害の精神分析アプローチ』という本があり、これは対象関係論の視点から論じています。この本には具体的な臨床例が詳細に描かれていて、とてもいい参考になります。『天使』の方は逆に、実際の臨床例はほとんど登場しません。代わりに、エリザベートやシモーヌ・ヴェイユといった歴史的人物の症例を取り上げているところがユニークです。特に、哲学者で敬虔なキリスト教徒であったヴェイユに、拒食症という観点からアプローチしている論考はとても新鮮で説得力があります。身の回りに摂食障害者を抱えている方には、是非読んでいただきたい本です。彼女たちにどのように接すればよいのか、そのヒントが得られるのではないかと思います。


 

 

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