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心理学と哲学の間

㈱らくらくカウンセリングオフィス 2013/07/15

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こんにちは、当社役員の脇田です。

私が大学に通っていたのは1970年代の後半なのですが、当時人文関係の本で話題になっていた本で、今でも時々書棚から出してくる本が2冊あります。
ひとつは、ユングの「人間と象徴」です。当時は、河合隼雄さんの本がようやく学生たちに読まれるようになった時代で、なかでもこの「人間と象徴」は写真や図版が多く、読みやすかったため、よく売れたようです。しかし内容はかなりハードで、当時、私もよく理解できなかったことを覚えています。

もう1冊、哲学関係の本でフッサールの「イデーン」という本の翻訳がみすず書房から出て、これも私の周囲では話題になっていました。フッサールという哲学者は、20世紀初頭の人で、あのハイデッガーの師匠なのですが、翻訳がほとんどなく、いわば「謎の哲学者」でした。そのフッサールの主著が翻訳されたということで、けっこう話題になったのですが、実はこの本は、とても難解で、私にはまったく理解不可能でした。しかし友人に勧められるまま第1巻だけを買い、長い間書棚に埋もれていました。

あれから35年近くがたち、いろいろな心理学や哲学の本を読み進んだ今、「人間と象徴」は何とか読みこなせるようになりましたが、「イデーン」の方は読解が進みません。なおかつ、20世紀後半の哲学界では、「フッサールの理論は独我論だ」というレッテルがなぜか貼られてしまい、人気が全くなくなっています。今時フッサールなど読むのは、一部の好事家(マニア)に限られているのです。

しかし一方、本屋に行くとここ最近、若い哲学研究者によるフッサール研究が何冊も出版されています。私と同世代、あるいはそれ以下の若い研究者が、博士論文にフッサールを選び、論文を発表しています。しかも彼らは、フッサールの主著である「イデーン」はもちろんですが、まだ翻訳されていない講義録や遺稿にも目を通し、フッサール理論の全体を射程に入れた議論を進めています。これらの論文を読むことによって、最近私もようやく、フッサールの言っていること/考えたことが、少しずつ分かるようになってきました。

フッサールの哲学は、「現象学」と呼ばれています。現象学という学問は、私たちの身の回りで起こっている「事象(できごと、ものごと)」を文字通りありのままに捉えてその本質を明らかにしようとする学問です。もともと19世紀前半にはじまったこの学問を20世紀初頭に体系づけ、理論として完成させたのがフッサールです。フッサールがそれをやったおかげで、ハイデッガーやメルロ=ポンティ、デリダといった弟子の哲学者が次々と輩出し、20世紀の哲学に大きく寄与しました。

さて、この現象学に私が30年以上にわたって注目している理由は、この学問が心理学と密接な関係を持っているからです。現象学は19世紀末に心理学と同じ土俵から始まり、そこから分かれて発展していった学問です。そのため、現象学の近辺には多くの臨床心理学者や精神科医が関わっています。

例えば、精神科医の木村敏先生は、フッサールとハイデッガーの現象学を基に自分の理論を構築し、これを「臨床哲学」と呼んでいます。先ほど名前を挙げたフランスの哲学者メルロ=ポンティは、医学的観点から人間の身体を捉え、「現象学的還元」と呼ばれる手法を使って理論を作りました。彼の理論はフランスの現代哲学に大きな影響を与えています。(ちなみに、メルロ=ポンティの著作も私の大学生時代に翻訳が次々と出ましたが、もちろん私には歯が立ちませんでした)。この他にも、ボスやテレンバッハといったドイツの戦後の精神科医は、現象学とフロイト理論を結びつけた新しい精神医科学を作り上げています。

フッサールの哲学は、いわゆる「人生哲学」ではありません。マルクスやサルトルのように社会や歴史に対して発言していく哲学でもなければ、ニーチェやキルケゴールのような人間の生き方を説く実存哲学でもありません。ただひたすらに、私たちの身の回りの「事象」そのものへと思索を深めていくタイプです。そのため議論は長く、晦渋で、著作を読んでいても数行で必ず睡魔に襲われます。しかし論理を一歩一歩たどっていくと、次第に、フッサールの思考がおそろしく厳密で、しかも説得力のあるものだと分かってきます。

最近の若い哲学者の研究で分かってきたことは、フッサールの哲学が決して「独我論」ではないということです。「独我論」とは、自分ひとりだけが見た世界を基に構築された哲学という意味で、哲学者がともすると陥りやすい盲点です。哲学という学問はどうしても、哲学者本人が、自分自身の頭で自分自身を根拠に思索を行う営みですので、ひとつ間違うと「ひとりよがり」な理論になってしまいます。フッサールは実はユダヤ人で、そのために20世紀初頭のドイツにあっては、ナチスの迫害に会いました。身内を強制収容所に送られて孤独な身となり、その中で考えていった哲学なので、一見すると、とても「ひとりよがり」な哲学に見えてしまいます。

特に、フッサールが自分の哲学に「超越論的」という形容句を付けている点も、「ひとりよがり」と思われてしまう一因でしょう。この形容句だけをみると、「世界を超越した独善的な理論を自分ひとりで作ったのだろう」と思われがちですが、これは全くの誤解です。この形容句は単に「内在と超越」という哲学用語をからとっただけですし、むしろフッサールの理論は徹底的に「内在」にこだわっています。その結果、内側と外側の接点を作る必要に迫られ、「超越」を超えるという意味で「超越論的」という言葉を作っただけです。つまり、フッサールの哲学は自分ひとりの世界だけでなく、外側の世界との接点を確保した理論になっているのです。

さて、今日のブログが長くなり過ぎるのでここで止めておきますが、大切なのは、「では現象学と心理学の接点はどこにあるのか」という点です。また、同じことを別の観点で言うと、「では心理学は独我論なのか否か」ということも問われることになるでしょう。こういった点を、次回また考えていきたいと思います。
 

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