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ヒステリア・シベリアナ

㈱らくらくカウンセリングオフィス 2011/07/21
らくらくカウンセリングオフィスは、カウンセリングの専門家集団です。

当社役員の脇田です。

村上春樹の小説が私にとって興味深いのは、次の2つの点においてです。ひとつは、それが主人公の「内的世界」だけに焦点を当てて出来事を描こうとしている点で、この点については今までに何回も触れてきましたし、また今後も観点を少しずつ変えながら考えてみたいと思います。

もうひとつは、登場人物の中になんらかの精神的疾患をかかえた人が登場するという点です。もちろん村上さんは精神科医ではないので、「症状」をつぶさに描いたり、その「症状」にDSMから引っ張り出してきた病名を与えたりはしません。また、主人公(多くの場合「僕」)が、その「症状」を持っているわけでもありません。しかし、「僕」に決定的な変化やダメージを与える人物(それは常に女性です)が、その「症状」を持っています。「ノルウェー」の直子がそうであり、「国境の南」の島本さんがそうです。

「ノルウェー」では直子は、実際に、精神障害を抱えた人のための施設に入っているという設定なので「症状」があるのだろうと分かりますが、具体的にどのような疾患があるのかまでは書かれていません。唯一、それと想像されるのが、月夜の夜中に直子が夢遊病者のようにさ迷い歩く姿だけです。ここからおそらく、直子は何らかの解離性障害だろうなあということが想像されるだけです。

一方、「国境の南」の島本さんの場合、それらしき症状は、北陸にある名もない川の上流へ行ってわが子の灰を捨てて帰る車の中での「発作」だけです。小説の中では、この発作の原因はもちろん、なぜ子供が死んだのか、そもそも島本さんは結婚しているのか、なぜ仕事をしていないのに裕福そうな生活ができるのか、……などなどの疑問への答えは何一つ示されていません。それだけに「僕」は、箱根の一夜の後での突然の島本さんの失踪に戸惑いうろたえる訳ですが、ひとつヒントとして作者が提示しているのが、「ヒステリア・シベリアナ」という「症状」です。

この言葉は、「シベリア風のヒステリー」とでも訳すのが適当なのでしょう。もちろん、村上さんのことですから、この病名は、作者の作りだした架空の病気です。(なんせ村上春樹は、「風の歌」の中で、天才的な才能を持ちながらエンパイヤステートビルから飛び降り自殺をするアメリカ作家を「ねつ造」しているくらいですからね)。しかし島本さんの発作と、「ヒステリー」という言葉とを結びつけた時、ある可能性が浮かび上がってきます。それは、島本さんもまた直子と同じ「解離性障害」に苦しんでいたのだろうという可能性です。

直子が自殺するのは、もちろん「僕」を愛しているからです。愛しているからこそ、「解離性障害を抱えている私は、あの人とは結婚できない」と悟り自殺する--これが「ノルウェー」の筋書きです。同じように、島本さんも「僕」を愛しています。だからこそ、「ハジメくん(「僕」の名前)が有紀子さんと別れて、解離性障害を抱える自分と結婚したら、必ずハジメくんはそのことを後悔するだろう。もちろんハジメくんは優しい人だから後悔しているとは決して言わないだろうが、口で言わないからこそ却ってその真心が私には辛いだろう」と考えて、「僕」のもとを去る--これが「国境の南」の行間から読み取れるもう一つの筋書きです。

「ねじまき鳥」の中で、ネコの次に失踪する「僕」の妻もまた、なんらかの精神的障害を抱えています。彼女の場合は、おそらく「二重人格」(テレフォンセックスの相手)でしょう。つまり彼女もまた「解離性障害」を抱えていたのです。ただし「ねじまき鳥」の場合、もっと状況は複雑で、義兄の綿谷昇の存在、死んだ義姉の問題、などの「綿谷家」の家族システムの問題が絡んできます。ただし、この「綿谷家族システム」も明示的に示されているわけではなく、あくまで「僕」の推測にすぎないという形で物語は進むわけですが。(この小説にはもうひとつ、「シナモンとナツメグ」という親子システムが登場し、この二人が「僕」に「超能力」を与え、ストーリーを急展開させるという大きな役目を持っているわけですが、私は個人的には、シナモンとナツメグよりも、この「綿谷家族システム」の方がずっと興味深いです)

かつてフロイトは、このヒステリーを研究するところから「無意識」の探求の旅を始めました。ヒステリー、つまり現代でいうところの解離性障害には、フロイトから百年以上たった現代でも、私たちの想念や想像力をとらえて離さない、何か大きな力が秘められているのでしょう。「人間とは症状である」と言ったラカン(フランスのフロイト派の精神科医)の言葉が、今更ながら、私には大きな意味を持っているように思えます。

 

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