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アントニオ・ロペスのボケた周囲と、エルンスト・マッハの眼窩の奥から見た光景

㈱らくらくカウンセリングオフィス 2013/10/06

当社役員の脇田です。

先日、NHKの「日曜美術館」で、「アントニオ・ロペス展」の紹介番組がありました。
東京のbunkamuraから始まって、長崎、岩手で巡回されていますが、名古屋には来なかったため、残念ながら私も実物は目にしていません。ただ、ロペスの絵は、美術作品としての面白さよりも、心理学的あるいは現象学的な観点から見て興味深い点があるので、ここで簡単にご紹介します。

現代イタリア絵画の巨匠として有名なロペスの絵画については、今さら私が説明するまでもありません。「ロペス展」のホームページを参照していただくと、代表的な作品が見られます。本屋や図書館にも図録はたくさんありますが、その作風を一言で言うと、「スーパーリアリズム」となるでしょう。
しかし、ホームページを見ただけではよくわからないのですが、実際の作品のディテールをよく見ると、驚くべき描き方がされていることがわかります。ロペスの描き方の特徴は、特に大型の風景画に顕著に現れます。例えばマドリード市街を俯瞰で描いた絵をよく見ると、単に風景の細部まで細かく正確に描かれているだけでなく、画面の周辺部に目をやると、中心部とは対照的に、ボケて大雑把に描かれていることがわかります。そのことは展覧会で現物を見るか、「日曜美術館」の再放送を見ていただくしか確かめようがないのですが、ロペスのスーパーリアリズムの真に凄いところは、「ディテールを正確に描いている」点にあるのではなく、この「周囲をボカして描いてある」という点にこそあるのです。

私たちが風景を眺めるとき、視線は自ずと、見えている物の中心点に向かいます。「ああ、あそこに建物がああって、道路があって、遠くの方に山が見えるなあ」という具合に景色を眺めます。
画家は、普通、そのように見えている風景をできるだけ正確に描こうとします。(ここではデフォルメされた風景画のことは考慮に入れていません)。そのようにして描かれた風景画には、実は隅から隅まではっきりと焦点が当たっています。
しかし実際に私たちが風景を見ている時、網膜に映っている映像は、実は周辺は中心部に比べてぼんやりとボケているはずです。縁の方に見えているはずの、しかし焦点が合っていないところにある時計塔の数字はボケていてよく見えないはずです。しかし、普通の風景画には、縁の方に配置された時計台の数字まではっきりと描かれます。これは実は、よ~く考えてみると、私たちの目が現実に見ている景色とは違っているわけで、その意味では風景を正確に描いてはいないのです。
ロペスはそのことをよく知っています。だからこそ、周辺をボカして描くわけです。それによって、私たちのの目が実際に「見ている」風景、つまり私たちが現実に「体験している」風景を、徹底的にリアルに描くわけです。だからこそ、ロペスの絵を見たとき私たちは、本当の風景を見ているように「リアル」に感じるわけです。

さて、このような視覚のマジックを使った絵画は、現代絵画の一つの潮流で、同様のマジックを使った絵画はいろいろ研究されて発表されています。そのことは最近の美術評論の本を見ていただけば分かりますが、私がここでロペスに着目する点は、もっと別のところにあります。それは、「直接の経験とは何か」ということを、このロペスの絵は示しているという点です。

ここで話を移して、「エルンスト・マッハの眼窩の奥から見た光景」の絵を紹介しましょう。マッハは、あの「音速」をあらわす単位の「マッハ」を定めた物理学者です。マッハはまた、「現象学」という哲学的方法を構想した哲学者でもあり、彼の著作の「感覚の分析」という本には、眼窩の奥から眺めた風景の絵が収録されています。
ある一人の人物が右手にペンを持ってソファに座り、室内の前方を眺めています。座っている人物はおそらくマッハ自身でしょう。そのとき、マッハさんの頭のすぐ後ろで、マッハさんの頭を透視して、マッハさんが見ている光景を描いている画家がいます。その画家が描いた絵が、この「エルンスト・マッハの眼窩の奥から見た光景」の絵です。
と言っても、よく分からないでしょうね。できればマッハの「感覚の分析」という本の翻訳本が出ていますので本屋か図書館で見ていただくのが一番ですが、それを見れば即座に、「ああ、脇田が言っていたのはこういうことか」と分かるはずです。なぜならば、実はそのような光景をこそ、私たちはふだん見ているはずだからです。(暇のある方は、実際にペンを持ってソファに座り、左目が見ている光景を、ロペスが絵を描くときにしたようによく見てみてください。見えている光景の周りには、眼窩に囲まれた暗い部分があり、右の方には鼻の鼻梁が少し見え、下の方には、体の左半分が見え、足の先が見え、さらにその向こうには室内の景色が見えているはずです。その光景こそが、実際にあなたが体験している光景であり、あなた自身の「眼窩の奥から見た光景」です。)

ロペスの絵とマッハの絵に共通しているものは何でしょう。それは、共に、「実際に私たちが体験している光景ではあるが、しかしそのように体験しているということを忘れているような、そのような光景の絵を描いている」ということです。つまり、私たちが目で直接に体験している事象を、できるだけ詳細に描いているわけです。

マッハは実は、このような絵を著作の中に収録することによって、「人間の感覚を分析する学問というものは、この絵のような視点を持つべきだ」ということを主張しています。マッハが生きた19世紀後半という時代は、まだ物理学と心理学と哲学とが今のようにはっきりと分かれていない時代であったため、マッハのこの著作は歴史の中に埋もれてしまうことになりますが、実はこのマッハの観点は、のちの哲学(現象学)の発展に大きな影響を与えます。ただし、心理学と物理学にはこの観点は抜け落ちてしまい、その結果、客観的科学としての視点だけを受け継いでいくことになります。

見てはいるが見えてはいないもの、見ている物の背景にある見えていない領域...そのような領域を、哲学は扱います。しかしその領域は、決して高尚な哲学議論にしか扱えない領域ではありません。なぜならば、その領域で起こっている事柄は、現に私たちが日々常に体験している事柄でもあるからです。ただその領域は何らかの事情によって隠蔽され、見えなくされているだけです。しかし、場合によっては、その領域が何らかの事情で私たちの目の前に「現出」してくることがあります。その時私たちは、うろたえたり、不安を感じたり、ときにはショックを受けたりもします。ハイデガーは、そのような機会にこそ、私たちの「実存」が問われると言います。つまり、隠蔽されていた領域が、「生きる」ことの意味を私たちに問いかけるのだと...

まあ、とにかく一度、アントニオ・ロペスの絵を展覧会か本屋で見てください。それと、そのついででいいですから、エルンスト・マッハの絵も忘れずにね。
 

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