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自己概念の崩壊

㈱らくらくカウンセリングオフィス 2011/07/07
らくらくカウンセリングオフィスは、新入社員から管理職まで、青年から壮年まで、製造業からサービス業まで、希望を持つ人から絶望に打ちひしがれた人まで、すべての働く人を支援します。

当社の「名ばかり役員」の脇田です。

カズオ・イシグロの「日の名残り」を小説あるいは映画でご覧になった方はご存知でしょうが、この作品で主人公のスティーブンスは、旅の最後でミス・ケントン(かつての同僚で、スティーブンスがほのかな恋心を抱いていた人物)に会い、旧交を温める会話を交わします。最後の別れを告げる時になってスティーブンスは、もっとも自分が知りたかった質問をします。しかしその答えが、あまりにも自分の予想と懸け離れていたたことを知り、ホッとすると同時に、複雑な心持を味わうわけです。ここでまず、スティーブンスは、第一の失望と洞察を得ます。
その翌日、ウェイマスの桟橋に一人佇み、「イングランドで最も美しい夕方の景色」を眺めながら、彼は、自分の主人であったダーリントン卿の波乱に満ちた人生と、自分自身の執事としての仕事ぶりを振り返ります。そして、たまたま隣り合わせた地元の小さな屋敷の下僕と会話を交わし、こう語ります。「自分は“選ぶ”ということをしてこなかった。単に、主人のことを“信じて”来ただけだった。ということは、自分の意思で過ちを犯したとさえも言えない。こんな自分のどこに“品格”があったと言えるだろうか」と。この“品格”という言葉は、この作品のキーワードで、スティーブンスにとっての「価値観」の根本に、この「執事としての品格」が据えられています。作品の中で、スティーブンスは常に、自分の「品格」を巡って思いをつづっていくわけで、最後の最後になって、「自分には執事としての品格がなかった」と語るのは、彼にとっての第二の失望と洞察であったわけです。

「自己イメージ」あるいは「自己概念」と言う考え方が、心理学にはあります。この言葉を使って言うと、スティーブンスの旅と思惟は、最後の最後で、この「自己概念」の崩壊へと至ったということが言えるでしょう。第一の失望で自分がミス・ケントンに対して抱いていたイメージが崩壊し、第二の失望で、自分が自分自身に対して抱いていたイメージ(つまり「自己概念」)が崩壊したというのが、この作品の心理学的構造を形成しています。

もちろん、この「自己概念の崩壊」は、同時に、ある「洞察」ももたらします。それが、名も知らぬ老下僕の突然耳に飛び込んできた一言、「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日で一番いい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方が一番いい。わしはそう思う」がきっかけでした。この言葉を咀嚼することによって、スティーブンスは今まで自分が抱いていた自動思考をやめ、新たな別の思考に切り替えて、こう語ります。

「人生が思い通りにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。私どものような人間は、何か真に価値ああるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体が自らに誇りと満足を与えてよい十分な理由となりましょう」

働く人間ならば、そして、長く働いてくる中で失望や絶望や後悔や後ろめたさやを抱いてきた人間ならば、このスティーブンスの思いを分かち合うことは十分に可能でしょう。

イギリス人の気質や、ものの考え方や、ユーモアや、人間性がちりばめられたこの作品の最後で、スティーブンスは、今現在の新しい主人であるアメリカ人に対して、再度、前向きに執事としての仕事をしていこうとします。しかもそのために必要なのは、執事の技術や能力を高めることではなく、主人を喜ばせる「ジョーク」を身につけることだと考えます。これが、この作品の結末です。この辺りの「作品の締め方」は、まさにイシグロならではのセンスと技巧が冴えていると言えるでしょう。人生を絶望するか、それとも絶望の先に新たな道を見出すか、しかもその道はフロイト的な「機知」の中にこそ見出せるのかもしれない--そんなことを考えさせてくれる作品です。

 

 

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